電気けいれん療法(電気痙攣療法、でんきけいれんりょうほう)は、頭部(両前頭葉上の皮膚に電極をあてる)に通電することで人為的にけいれん発作を誘発する治療法である。ECT(electroconvulsive therapy)、電撃療法(electroshock theraphy: EST)、電気ショック療法(ES)[1]とも言う。
1938年、イタリアのU.ツェルレッティ(Ugo Cerletti)とルシオ・ビニ(Lucio Bini)によって創始された、元々精神分裂病(現在のほぼ統合失調症に当たる)に対する特殊療法として考案されたものである。日本では1939年に安河内と向笠によって創始された。その後、他の疾患にも広く応用されて急速に普及し、精神科領域における特殊療法中、最も一般化した治療法である[2]。
電気けいれん療法には大きく分けて、四肢や体幹の筋にけいれんを実際に起こすもの(有けいれんECT)と、筋弛緩剤を用いて筋のけいれんを起こさせないもの(修正型ECT,無けいれんECT)に分類され、用いる電流も「サイン波」型と「パルス波」型に分類できる。
[編集] 無けいれん電気けいれん療法(修正型電気けいれん療法)
電気けいれん療法は、脳内でてんかん発作の電気活動を起こすことによって効果を得るのが本質である。それに伴って起こる全身の筋のけいれんは、患者の状態によっては血圧を上昇させるなどの循環状態への影響、骨折の危険を伴うことがある。そのため、循環器に疾患のある患者や、高齢その他の理由で骨折する虞がある患者には筋弛緩剤で筋を弛緩させて、麻酔科医が人工呼吸等を含めた呼吸管理、循環動態の観察を行いながら頭部に通電する「無けいれん電気けいれん療法」が行われることもある。
無けいれん電気けいれん療法は、修正型電気けいれん療法、またm-ECT(modified electroconvulsive therapyの略)とも呼ばれる。
ただし、精神科だけの単科の病院では、麻酔科医の確保が不可能に近いので、現在のところ実施が困難である。だが、例えば東京都の成仁病院は麻酔科医からトレーニングを受けた精神科医が麻酔を施行することでこの問題を解消することを提案している[3]。今後の議論が必要とされる問題だが、一定の結論がでていない現段階で、大阪のほくとクリニック病院では麻酔科医不在で外来m-ECTを施行していることが同病院のTVドキュメント[4]の紹介映像から推測指摘され一部の有識者や2ちゃんねるなどで問題視された。一方、大学病院など総合病院では、各診療科医がいてすぐに緊急時の対処が可能な条件下で、手術に準じて手術室もしくは専用の処置室で行われている。
- 上記のように薬剤や人員が必要になるため通常の電気けいれん療法よりもコストが高くなる欠点がある。
[編集] 「サイン波」と「パルス波」電流
以前より、日本においては「サイン波」(送電線を流れている電流を変圧しただけのもの)による通電が行われていたが、これは日本国外で用いられていた「パルス波」の電流に比べて認知障害などの副作用が大きいことが知られている。そのため、2002年にパルス波型の通電装置「サイマトロン」が日本でも認可された。
大恐慌で失業者の独身男性
1933年、ポーランドのマンフレート・ザーケルが低血糖ショックを起こさせて治療(ただし死亡例が多かった。インスリン#歴史を参照)、1937年にはハンガリーのラディスラス・J・メドゥナ(Ladislas J. Meduna)が薬物を用いて人工的にけいれん発作を作ることで統合失調症患者の治療に成功した。当時、てんかん患者は統合失調症を合併しないと信じられており、これは「てんかん発作には精神病を予防・治療する効果があるのではないか」という着想のもとに行われたという。この結果を受けて1938年、イタリアのU.ツェルレッティ(Ugo Cerletti)とルシオ・ビニ(Lucio Bini)は、電気を用いてけいれんを起こすことに成功した。
その後、この療法は世界各地で行われ、1952年にフェノチアジン(クロルプロマジン)が開発、効果が発見されるまで、精神疾患治療法の花形であった。しかし、その後様々な抗精神病薬や抗うつ薬、気分安定薬などの開発により使用される頻度は減少していくこととなった。また、一部の精神科病院では、患者に対して懲罰的に電気けいれん療法を行っていたことが明らかになり、社会問題として大きく取り上げられ、その傾向に拍車をかけることとなった。
しかし、薬物療法に対して電気けいれん療法の利点(比較的即効性であることなど)が徐々に明らかになり、また無けいれん電気けいれん療法の開発、パルス波通電装置の開発などの電気けいれん療法自体の改良が行われたことにより、現在では再び治療において重要な地位を占めるようになっている。
旧ソ連においては、共産主義に反対するものは精神に異常をきたしてているためにそれが理解できないのであり、統合失調症であるとしてKGB(ソ連国家保安委員会)により精神病院に強制入院させ、治療と称して電気けいれん療法を実行していた。実質的に体制に反対するものへの弾圧、恐怖政治の手段として利用されていた。このためもあってこの療法に対して強い嫌悪感や反感を抱くものは少なくない。[要出典]
アメリカ精神医学会(APA)のECTガイドラインでは、精神病・躁せん妄・緊張病の伴う深刻な抑うつについて早期のECTを実施する明確なコンセンサスがあるとしている。 英国国立医療技術評価機構(NICE)のガイドラインでは、深刻な抑うつ・緊張病・長期または深刻な躁病にECTを推奨しているが、うつ病の管理治療では「長期的なベネフィットとリスクについては明確に確立されていない」としてECT使用は推奨していない[5]。 データの欠如のため、NICEが2009年に発行した成人の抑うつ治療ガイドラインでは、管理段階または予防段階でのECTは言及していない[6]。APAの2009年ガイドラインでは予防段階でのECT使用を支持している。
[編集] 日本国内
日本国内では、うつ病、躁うつ病、統合失調症などの精神疾患(まれにパーキンソン病などにも)の治療に用いられている。
状態の発作
- うつ病
- 重症で自殺の危険が高く緊急を要する場合や、薬物療法を充分行っても症状が改善しない場合、薬物療法の副作用が強い場合など。
- 躁うつ病
- うつ状態で上記したような問題がある場合や、躁状態で興奮が強く緊急を要する場合など。
- 統合失調症
- 難治性の場合や、抑うつを伴い自殺の危険が強い場合、緊張型の昏迷状態など。
1961年当時の厚生省保険局通知「精神科の治療指針」によると適応症として『精神分裂病、躁うつ病、心因反応、反応性精神病。神経症、神経衰弱、麻薬中毒、覚せい剤中毒、酒精中毒性、精神病等』があげられていた。
[編集] 副作用
術前の全身状態の評価を適切に行い、電気けいれん療法を行った場合、安全で有効な治療法である[7]。薬物療法による副作用での死亡率よりも少ないという報告もある[要出典]。米国精神医学会タスクフォースレポートによれば、絶対的な医学的禁忌といったものも存在しない[8]。ドイツのゲルト・フーバーによると器質性の脳傷害と重傷の一般的な身体疾患(とりわけ心臓-循環器疾患)を禁忌としている[9]。水野昭夫によれば絶対的禁忌として頭蓋内圧亢進症を挙げている[10]。
しかし、以下のような副作用が起こることがある。
- 心血管系の障害:筋はけいれんしなくても、通電直後数秒間に迷走神経を介した副交感神経系の興奮が生じ、徐脈や心拍停止、血圧の低下を生じることがある。また、カテコールアミン放出を伴う交感神経系の興奮が惹起され、頻脈や血圧上昇、不整脈などが起こることもある。
- 認知障害:通電直後に生じ、見当識障害、前向性健忘(以前の記憶はあるが、ECT後の出来事などが覚えられなくなる)や逆行性健忘(新しいことは覚えられるが、以前の記憶、特にECT施行直前の記憶がなくなっている)が見られることがある[11]。老人に頻度が高い。多くは時間とともに回復する。失見当識・前向性健忘は比較的短時間に回復し、逆行性健忘は回復が緩徐である。また、そのまま認知機能の低下が遷延するという例も少数だが報告されている[12]。
- 躁転:時に多幸的・脱抑制・易刺激性を伴う。双極性障害患者において特に躁転する頻度が高い。
- 頭痛:45%程度の患者が自覚するとされている。拍動を伴う前頭部痛を示す事が多い。電極配置や刺激強度などとは関連しない。
[編集] なぜ効くのか
動物実験で脳神経細胞の成長を促すBDNFを増加させたという結果が報告されているが、まだよく分かっていない。ヒトの大規模臨床データを統計的にまとめたカナダのアブラムホッファーフーイズの報告によれば効果の差異は認められていない。
肥満ケビンtreadeauの治療法
[編集] 治療の実際
事前に処方薬の調整を行う。リチウムは脳内濃度が上昇する可能性があるので中止、抗てんかん薬はけいれんを生じにくくするので中止、ベンゾジアゼピン系薬物もけいれんを生じにくくさせるので減量、抗うつ薬は術中不整脈を起こす危険性を高める可能性があるので中止。なお抗精神病薬は原則として中止する必要はない[13]。
患者が短時間麻酔剤の注射により入眠すると、筋弛緩剤が注射され、約30秒~1分後に900mA、パルス幅0.25~1.5msecのパルス波電流を1~8秒間こめかみまたは前額部などに通電する。通電条件は、従来までは投与電気量を指定する以外は装置の内蔵プログラムに従っていたが、最近では患者個々の生物物理学的な特性にあわせて設定を変更する試みもなされるようになった[14][15]。なお、一般にECTを繰り返し行うとけいれん波は生じにくくなり(しばしば「けいれん閾値が上昇した」と表現される)、投与電気量を多くしなければならないと考えられている[16]。
普通、週に2~3回の割合で合計6~12回行われる。これを1クールと呼ぶ[17]。1~2回で効果が出ても、再発の危険があるので、すぐには中止せず、5回は施行したほうがよいとされている[18]。
[編集] 勧めない精神科医もいる
一方で療法自体を勧めない精神科医もいる。時間の流れに沿った治療プロセスを省略し、または薬物療法で行き詰まり、その内容の是非を医療者として検証しないうちに安易にこの療法を選択する可能性がありえる。それが医療現場の荒廃につながり、結果として治療を受ける者を苦しめるからとの理由で勧めていない場合がある。[19]
薬物療法との比較する形でこの療法を治療手段として行わない理由が「懲りない精神医療電パチはあかん!!(前進友の会 2005)」にて中井久夫の論文を抜粋する形で光愛病院の黒川能孝によって紹介されている[20]。
- 真に必要な症例に出会わなかった。
- 体験の連続性を破壊する。
- 服薬はそれ自体が体験であり、しばしば好ましい体験であり、関与的に観察できる電撃は当人の体験とはなりえない。
- 薬物は納得ずくで服用し、治療者が微調整でき、患者が異議を申し立て、両者間に相互のフィードバックができる。患者と治療者も進歩しうる。電撃は悉無律(しつむりつ;全か無かの法則)に従い、かつ患者からのフィードバックは通常無い。
- 薬物は本人および家族に治療への参加感を与える。電撃は彼らを蚊帳の外に置く。
- 電撃は精神科医の人格に影響を与える。無感覚になるか神経衰弱になるかは別として。看護師についても同様。
こうした見解は一般化できるものではないが、ECTは頻回の全身麻酔を伴うリスクもあり費用も高い。昏迷状態やがん末期の抑うつ状態で経口服用できない場合など、重症例や緊急性の高い症例に適応を限定している医師は多い。
[編集] フィクション
1975年のアメリカ映画「カッコーの巣の上で」には、ジャック・ニコルソン演じる主人公が"病院内の規則に従わないため"に、電気けいれん療法を強制的に行われるシーンがある。しかし、彼のような患者(諸説あるがパーソナリティ障害であろうか)は、現在では電気けいれん療法の適応にならない。また、革紐で手足を縛って施行しているが、現在はたとえ有けいれん法を行う場合でも手足を縛ることはかえって危険であり行わない。また、同意が得られていない患者に対して電気けいれん療法を行うことは、倫理的に許容されない(もちろん本人に同意能力がない場合もあるが、その場合は保護者の同意が必要である)。「カッコーの巣の上で」の主人公は同意能力を欠いた状態にあるとは明らかに思えず、その意味でも問題である。
この映画はあくまでも「古き悪しき時代」の精神医療を描写した映画なのである。
※「カッコーの巣の上で」の主人公は刑務所行きを避けるため、精神病患者を装っていた。
- ^ 前進友の会 2005, p. 60
- ^ 精神科の治療指針 厚生省保険局 1961年10月27日
- ^ 第105回日本精神神経学会1-D-14 修正型電気けいれん療法(mECT)に麻酔科医は必置か?
- ^ テレビ朝日系列2009/1/26放送「悩める国ニッポン ~大都会の精神科救急24時」
- ^ "Guidance on the use of electroconvulsive therapy (PDF)". 英国国立医療技術評価機構. pp. 5, 6 (2005年11月1日). 2008年7月26日閲覧。
- ^ 英国医療技術評価機構 2009, p. 526
- ^ 電気けいれん療法とその他の身体療法
- ^ 日本精神神経学会電気痙攣療法の手技と適応基準の検討小委員会 2002
- ^ ゲルト・フーバー 2005, p. 168
- ^ 水野昭夫 2007, p. 36
- ^ Sackeim H.A.,"Acute cognitive side effects of ECT",Psychopharmacol,22;1986,pp 482-484
- ^ Sobin C, Sackein H.A., Prudic J, et al, "Predictors of retrograde amnesia following ECT", Am. J. Psychiatry,152;1995,pp 995-1001
- ^ 水野昭夫 2007, p. 33
- ^ 第107回日本精神神経学会1-H-27 長パルス波ECTが奏効した統合失調症の一例
- ^ Long Brief Pulse Method for Pulse-wave modified Electroconvulsive Therapy arXiv:1112.2072 [q-bio.NC] available at http://arxiv.org/abs/1112.2072
- ^ ゲルト・フーバー 2005, p. 167
- ^ 医者を悩ます「ニュータイプなうつ病」がわかる本 山田和男 講談社 2009年 ISBN 9784062594981 p108
- ^ 水野昭夫 2007, p. 35
- ^ 笠陽一郎 2008, p. 207
- ^ 引用・抜粋先は「精神科治療学・第8巻・第4号・1993年4月)
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